√3は3の倍数である

数弱は焦っていた。テスト終了まで、残り時間はわずか。依然として埋まらない解答欄。何か、何か書かなくては。数弱は、無心でシャープペンシルを走らせた。最後の気力を振り絞る。そこでテスト終了を告げるチャイムが鳴り響いた。——やりきった。白い解答欄の中で、『n=√3α(αは整数)よりnは必ず3の倍数となる』、この文字列が一際輝いていた。

人生とは

湯船に浸かっていると、ふと剃刀が目に止まる事がある。

すると私の頭は、「一体どうして今日も生きているのか」と、「どうして生きていかなくてはならないのか」と、人類が始まって以来、長年に渡って問われ続けて尚解決されない、永久の疑問で埋め尽くされるのが常だった。

 

人間という生き物は、限られた時間、有限の時のなかで生きている。遅かれ早かれーーそこに至る過程は違えどーー死という共通の終着点に向かう漂流物に過ぎないのだ。

充実していようが、していなかろうが、結局たどり着くゴールは同じなのである。

それならば、わざわざこのクソ非リア人生を長々と歩む必要があるのかと、一体何のために今この瞬間を苦しんでいるのかと、やるせなくなるのだ。

人生のゴールが死だというのなら、早々にそのゴールにたどり着いた方がよっぽど楽なのではないか。少なくとも、私は持久走大会を楽しめる人間ではない事は小中学校時代で充分に学んでいる。人生とは消極的な自殺であるとは言い得て妙なのではないか。一体私は、何のために生きているのか? 生きるという行為そのものが後世にその子孫を残す為の、生物的な本能から来ているものなのだとしたら、いよいよ私は生きる意味が失われてしまう。このブログを始めとした、負の産物しか、私は残せないからである。

 

風呂からあがって、髪を乾かしTwitterを開いた。私は一つの覚悟を持っていた。明日で意味のない人生を終わらせようという覚悟である。

このタイムラインを見るのも今日が最後かと思うと、不思議と涙が溢れてきた。思えば、あの悪夢のような中学校時代を乗り切れたのはTwitterのおかげだった。見慣れたアイコンが規則的に並ぶこの画面が、私は何より好きだった。

名残惜しくタイムラインを更新したその時、一つの画像が表示された。

 

神絵師による推しカプ絵だ。

 

その瞬間、私を覆っていた暗雲は消え去り、青空が広がった。

全ての感情が「ハァ〜ありがてぇ〜 😭😭😭🙏🙏🙏🙏」の呟きに収束する。

一体何のために生きているのかなど、愚問であった。

推しカプを拝むためである。

 

 

そういうわけで、化学の追追追試を受けることになったけれど、私は元気です。