√3は3の倍数である

数弱は焦っていた。テスト終了まで、残り時間はわずか。依然として埋まらない解答欄。何か、何か書かなくては。数弱は、無心でシャープペンシルを走らせた。最後の気力を振り絞る。そこでテスト終了を告げるチャイムが鳴り響いた。——やりきった。白い解答欄の中で、『n=√3α(αは整数)よりnは必ず3の倍数となる』、この文字列が一際輝いていた。

花に嵐

会社の人々に「12年ぶりの元彼と会うらしい」とバレた瞬間事の経緯を洗いざらい吐くことになった。私は自分から「実は私元彼がいてさぁ笑 今度会うんだけど笑」など吹聴するタイプではない。本来墓場まで持っていくタイプだ。この度はコミュニケーション能力に長けた同期に様子のおかしさを指摘されたことで、芋ずる式に経緯を白状することになった。始まりは外回り中に服屋を見かけて呟いた「服がねぇんだよな」である。


「服がない、なんて言ったことなかったじゃん。何事?」

「いや、出かけるから……。まあジャージでも良いかなと思ってるんだけど……」

「出かける? 珍しいね。何するの?」

「バドミントンする」

「バドミントン? 誰と?」

「部活が同じだったやつと」

「へぇ〜、女子?」

「いや男」

「男!?」


というわけで、小学校で一番仲が良かったこと。付き合い始めて水族館に行ったこと。でも気まずくなって疎遠になったこと。同窓会で再会したこと。今度バドミントンをすること。モタモタと話した。高校のジャージで行こうかと思っている旨を話すと同期が「バカ! 服買うぞ服!」と言い出した。

先輩にも話が広がり「その流れで水族館行かないことある!?」と言われ、頭の片隅に「水族館」が置かれることになった。

同期は本当に一緒に服を選んでくれたし、先輩もずっと気にかけてくれた。仕事はマジで嫌いなんだけど、周囲の人間にめちゃくちゃ恵まれている。


こうして服を手に入れた私は無事バドミントンを終え飲みに行った。店に入ってからはハチャメチャに酒をぶち込んでいたのであまり記憶が無い。が、頭の片隅にあった水族館を零したのか帰りに「じゃあ次はゴールデンウィークに帰省するから水族館に行こう」という話になった。アルコールで強気になっていた私は墓標を立てるのに良いかもなと思い「行くしかねぇな!」と乗り気だった。

4月になって男は社会人になり、私は社畜の日常が帰ってきた。同期と先輩に「どうなったの!?」と聞かれ、「酒ぶち込んだのであんま覚えてないです……。でも水族館に行きます!」と答えた。


ある日男からLINEが来た。「ゴールデンウィークに行くって話だったけど、予定早めない?」とのこと。別に構わないが、(あ〜次はゴールデンウィークね、そこまでに顔面の治安を良くして人間の服を手に入れれば良いわけね)と思っていた私のスケジュール感は崩れ去った。年度始めで仕事がクッソ忙しく、ドタバタしたまま当日を迎えることになった。

同期と先輩に「スケジュール巻いたんで水族館今週っす」と報告すると「服あるの!?」と心配された。結論、服はなかった。

水族館だよ!? 買いに行きな!? と勧められ前日に服屋へ駆け込んだ私は二時間ほど悩み(!)マネキン買いをした。同期は遠方対応のため不在、一人で買い物をする必要があったのだ。

カバンに服を詰め込み帰りの電車に揺られ、(男と水族館に行くから服買うってなんかアレだな……)と考えていた。なんか前回も男とバドミントンをするために服を買い、肌管理までしたのでこう、アレだ。

深く考えるのはよそうと野球の中継を見ることにし、中日阪神戦の放送を聞きながら電車を待った。自分自身を含めた人間の情緒が理解できない。理解できないものに向き合うのは体力がいる。今日は残業で、おまけに慣れない服購入までして、とにかく疲れた。今は中日が打つかどうかが大事だ。

ぼんやりしながら前に続いて電車に乗り込む。どうせ明日男について散々考えねばならんのだから、今急ぐ必要もあるまい。


で、電車に乗りこんだ瞬間目の前に男がいた。

お互い完全に油断しており、絶句の後無常に電車は走り出す。

なんでゴールデンウィークから巻いた予定を更に巻いてばったり遭遇してるんだ? 予想外の状況に顔がひきつり、無言になる。男は今まさに帰省してきました! という風貌で、私は今まさに残業を終えてきました! の風貌だ。最悪すぎる。

男が気を遣ったのか「遅いね、残業?」と聞いてきて、まさか服なくて服買ってましたとは言えず「残業」と答えた。正確ではないが嘘ではない。一緒に帰る間気まずくて仕方がなかったのに、また明日、と男と別れて、この感じだけはなんだか本当にあの頃に戻ったみたいだなと思った。毎日会うのが当然だったあの頃。無邪気で何にも考えてなかった。今となっては羨ましいあの頃。


翌日水族館に行った。

水族館に行く度「アイツ何してるかな〜」と思い出していた。当時は近くのマックで昼食を取り、水族館の休憩スペースで座り込んでゲームばかりして、帰りに隣の遊園地へ行った。なるべく同じコースを辿りたかったけれど、近くのマックは閉店していた。12年が経つってそういうことだ。それでも昼はちゃんとハンバーガーを食べたし、3DSを持ち寄ってマリオカートをやった。

水族館に入って魚を見ながら、またこいつとここに来るとは思わなかったな……と感慨にふけった。水族館は偲ぶ場所だったので、隣に偲ぶ対象がいるのは不思議な感じがした。

「そういえばなんでゴールデンウィークから巻いたの? こっち帰ってくる頻度高くない?」と何気なく聞いた。男は帰省のために新幹線を使わなければならない。こんな頻度で帰ってきていたらどう考えても破産する。

男は「会いたかったから帰って来た」と言った。呆れてしまった。呆れたし勘弁してくれと思った。これはなんかアレだ。昨日考えるのをやめるために野球中継に逃げたアレに向き合わなければならない。


男のことは好きか嫌いかで言えばめちゃくちゃ好きなんだけど、こんなのに引っかかって本当に可哀想なやつだなと思う。女耐性がゼロすぎてものの見事に同窓会マジックにかかっている。社会人一年目で、これからたくさん出会いがあって、輝かしい未来が待っているであろう男がド地雷のドメンヘラにうつつを抜かす様はすごくつらい。やめとけそんな女! と第三者目線で思う。どこか遠くで幸せになっててほしい。

というのは本心だが建前でもある。もっと正直に言えば下手に付き合ってまた疎遠になってまた信じられん期間を信じられん引きずり方で過ごすのは私が耐えられないから嫌だ。人はいつか死に、関係はいつか終わる。12年ぶりに再会した元カノという希少価値は会う度に輝きを失う。幻滅チャンスを増やしそうなのであまり会いたくない。でも一生遊んでほしい。私は銀の庭がほしい!


結局「アホな理由で帰ってくるな、半年に1回会うぐらいが丁度良いんだ」と返した。細く長く、希少価値を失わない程度に期間を空けて遊べたら嬉しいなと思った。そこからバカスカ酒を入れたので記憶が曖昧になっている。なんかめっちゃ楽しい〜! また遊べて嬉しい〜! というテンションになっており、冷静になったのは駅からの帰り道だった。手繋いでね? と気づいた。

ギャーッ! と言いながら男から離れて、「一旦酒を買わせてくれ」と懇願してパック梅酒をぶち込んだ。良い感じにわからなくなり安堵、公園に向かう。男に「今度会った時告白して良い?」と聞かれ、「おまえのためにならんからやめとけそんな女!」とキレた。薄々アレか……? と察してはいたけれど明確な言葉にされると動揺が梅酒に勝り、全体的に記憶の飛び方が甘い。耐えきれず2度目のコンビニに向かい鬼ころしを入れて、しばらくの後思考が止まった。ここからが最悪だった。

ただでさえ飲みまくっていたところにパック梅酒と鬼ころしを急速にぶち込んで私の脳は壊れた。壊れたので、「やめとけそんな女!」以外のことも全部言ってしまった。下手に付き合って疎遠になるぐらいなら一生友達として遊んでくれ、また12年引きずるのは嫌だ、銀の庭になってくれ、を全部だ。重すぎる! しかもなんか……しかもなんか男とベタベタしながら話してた気がする! ギャーッ!!


男が送ってくれたのかともかく私は帰宅し、根性で風呂に入って気絶した。ハンパないダルさで目覚めた翌日「次こっち遊びに来てね」と男からLINEが来て昨晩のメンヘラぶりが走馬灯のように過ぎり、もう死んじゃおっかな……と思うことになった。恥の多い生涯というか恥が連続したものを生涯と呼んでいるありさまだ。

現在社畜として外回り中なのだが、思い出す度ギャーッ! となる。ギャーッ! となってばかりいるので財布を忘れ見積もりを忘れ何もかも全部ダメになっている。本当にお酒をやめた方が良い。でもお酒がないと生きていけない……。

私は次どんな顔をして男に会えば良いんだろう。

同窓会で元気そうな顔を見て、それで終わりのつもりだった。お互い綺麗な思い出にして次行こうぜ、の計画がとにかく台無しになっている。思えば私はこの男に関して物事が上手く運んだ試しがない。

告白して良い? とか言ってたけど本気だろうか。なんて返せば良いんだろう。断ったらもう遊んでもらえないんだろうか。てか私遊ばれてない!? もうヤダ泣