√3は3の倍数である

数弱は焦っていた。テスト終了まで、残り時間はわずか。依然として埋まらない解答欄。何か、何か書かなくては。数弱は、無心でシャープペンシルを走らせた。最後の気力を振り絞る。そこでテスト終了を告げるチャイムが鳴り響いた。——やりきった。白い解答欄の中で、『n=√3α(αは整数)よりnは必ず3の倍数となる』、この文字列が一際輝いていた。

マジで人生が生きづらいので一回「マジで人生が生きづらいです」とお医者様に相談してみたいのだけれど、マジで人生が生きづらいレベルのビビりなのでひよっている。病院に行って「え!? その程度で病院来たの!?」と思われるのが怖すぎるからだ。

人生つらくて早く死にたいんだけど、実はみんな人生つらくて、でもちゃんと我慢して、人生頑張ってるんじゃなかろうか。私の「人生つらいよ泣」は怠惰から来るものなのではなかろうか。本当の本当に人生がつらくて祈るような気持ちで病院に来た方々に申し訳ない。
生きづらいなどと言っているけれど、私自身の性質や人格そのものに問題があって、それを改善していこうという気概がないからこそ「生きづらい」になっているのでは? と判明してしまうのが怖い。

受診の結果病名がついたらまだ救われる気がする、という言い方は悩んでいる方々に失礼な気がするが、それ以外に適当な言葉が浮かばない。あ、私って病名がつくぐらいちゃんと生きづらかったんだ……という客観的証明を得られた気がして、なんとなく安心する。病名がつかなかった場合が恐ろしいので、受診しないことでグレーを保っている。そして現在に至る。

 

みんなどうやって人生生きてるんだろう。私的にしっくり来る説明は太宰治の『葉』だ。みんなにはみんなの着物があって、そうしてだましだまし延命して、そのうちに寿命が来るのかなと思ったりする。

私の着物は犬だった。現在は猫だ。
その他にも祖父母や弟、友人などが挙げられるのだけれど、これらの着物は総じていつか失われる。今から怯えていてどうするのだという話だが、犬が死んでしまった時があまりにもショックでトラウマになっているので、既に失った時のシミュレーションを始めている。

そんなことばかり考えていると落ち込んでくるので、アルコールをぶち込んで無理やり思考を止めることにしている。今も悪い方向に思考が向かっている自覚があるので、めちゃくちゃ酒が飲みたくなっている。

マジで人生が生きづらいとかの前にアル中になって死ぬ気がする。本末転倒だね。

死にたいっていうか「救われたい」が正確な望みなんだけど、生きてる限り救われない気がするから死にたい。自殺、消極的救済システムだと思う。