√3は3の倍数である

数弱は焦っていた。テスト終了まで、残り時間はわずか。依然として埋まらない解答欄。何か、何か書かなくては。数弱は、無心でシャープペンシルを走らせた。最後の気力を振り絞る。そこでテスト終了を告げるチャイムが鳴り響いた。——やりきった。白い解答欄の中で、『n=√3α(αは整数)よりnは必ず3の倍数となる』、この文字列が一際輝いていた。

花に嵐

会社の人々に「12年ぶりの元彼と会うらしい」とバレた瞬間事の経緯を洗いざらい吐くことになった。私は自分から「実は私元彼がいてさぁ笑 今度会うんだけど笑」など吹聴するタイプではない。本来墓場まで持っていくタイプだ。この度はコミュニケーション能力に長けた同期に様子のおかしさを指摘されたことで、芋ずる式に経緯を白状することになった。始まりは外回り中に服屋を見かけて呟いた「服がねぇんだよな」である。


「服がない、なんて言ったことなかったじゃん。何事?」

「いや、出かけるから……。まあジャージでも良いかなと思ってるんだけど……」

「出かける? 珍しいね。何するの?」

「バドミントンする」

「バドミントン? 誰と?」

「部活が同じだったやつと」

「へぇ〜、女子?」

「いや男」

「男!?」


というわけで、小学校で一番仲が良かったこと。付き合い始めて水族館に行ったこと。でも気まずくなって疎遠になったこと。同窓会で再会したこと。今度バドミントンをすること。モタモタと話した。高校のジャージで行こうかと思っている旨を話すと同期が「バカ! 服買うぞ服!」と言い出した。

先輩にも話が広がり「その流れで水族館行かないことある!?」と言われ、頭の片隅に「水族館」が置かれることになった。

同期は本当に一緒に服を選んでくれたし、先輩もずっと気にかけてくれた。仕事はマジで嫌いなんだけど、周囲の人間にめちゃくちゃ恵まれている。


こうして服を手に入れた私は無事バドミントンを終え飲みに行った。店に入ってからはハチャメチャに酒をぶち込んでいたのであまり記憶が無い。が、頭の片隅にあった水族館を零したのか帰りに「じゃあ次はゴールデンウィークに帰省するから水族館に行こう」という話になった。アルコールで強気になっていた私は墓標を立てるのに良いかもなと思い「行くしかねぇな!」と乗り気だった。

4月になって男は社会人になり、私は社畜の日常が帰ってきた。同期と先輩に「どうなったの!?」と聞かれ、「酒ぶち込んだのであんま覚えてないです……。でも水族館に行きます!」と答えた。


ある日男からLINEが来た。「ゴールデンウィークに行くって話だったけど、予定早めない?」とのこと。別に構わないが、(あ〜次はゴールデンウィークね、そこまでに顔面の治安を良くして人間の服を手に入れれば良いわけね)と思っていた私のスケジュール感は崩れ去った。年度始めで仕事がクッソ忙しく、ドタバタしたまま当日を迎えることになった。

同期と先輩に「スケジュール巻いたんで水族館今週っす」と報告すると「服あるの!?」と心配された。結論、服はなかった。

水族館だよ!? 買いに行きな!? と勧められ前日に服屋へ駆け込んだ私は二時間ほど悩み(!)マネキン買いをした。同期は遠方対応のため不在、一人で買い物をする必要があったのだ。

カバンに服を詰め込み帰りの電車に揺られ、(男と水族館に行くから服買うってなんかアレだな……)と考えていた。なんか前回も男とバドミントンをするために服を買い、肌管理までしたのでこう、アレだ。

深く考えるのはよそうと野球の中継を見ることにし、中日阪神戦の放送を聞きながら電車を待った。自分自身を含めた人間の情緒が理解できない。理解できないものに向き合うのは体力がいる。今日は残業で、おまけに慣れない服購入までして、とにかく疲れた。今は中日が打つかどうかが大事だ。

ぼんやりしながら前に続いて電車に乗り込む。どうせ明日男について散々考えねばならんのだから、今急ぐ必要もあるまい。


で、電車に乗りこんだ瞬間目の前に男がいた。

お互い完全に油断しており、絶句の後無常に電車は走り出す。

なんでゴールデンウィークから巻いた予定を更に巻いてばったり遭遇してるんだ? 予想外の状況に顔がひきつり、無言になる。男は今まさに帰省してきました! という風貌で、私は今まさに残業を終えてきました! の風貌だ。最悪すぎる。

男が気を遣ったのか「遅いね、残業?」と聞いてきて、まさか服なくて服買ってましたとは言えず「残業」と答えた。正確ではないが嘘ではない。一緒に帰る間気まずくて仕方がなかったのに、また明日、と男と別れて、この感じだけはなんだか本当にあの頃に戻ったみたいだなと思った。毎日会うのが当然だったあの頃。無邪気で何にも考えてなかった。今となっては羨ましいあの頃。


翌日水族館に行った。

水族館に行く度「アイツ何してるかな〜」と思い出していた。当時は近くのマックで昼食を取り、水族館の休憩スペースで座り込んでゲームばかりして、帰りに隣の遊園地へ行った。なるべく同じコースを辿りたかったけれど、近くのマックは閉店していた。12年が経つってそういうことだ。それでも昼はちゃんとハンバーガーを食べたし、3DSを持ち寄ってマリオカートをやった。

水族館に入って魚を見ながら、またこいつとここに来るとは思わなかったな……と感慨にふけった。水族館は偲ぶ場所だったので、隣に偲ぶ対象がいるのは不思議な感じがした。

「そういえばなんでゴールデンウィークから巻いたの? こっち帰ってくる頻度高くない?」と何気なく聞いた。男は帰省のために新幹線を使わなければならない。こんな頻度で帰ってきていたらどう考えても破産する。

男は「会いたかったから帰って来た」と言った。呆れてしまった。呆れたし勘弁してくれと思った。これはなんかアレだ。昨日考えるのをやめるために野球中継に逃げたアレに向き合わなければならない。


男のことは好きか嫌いかで言えばめちゃくちゃ好きなんだけど、こんなのに引っかかって本当に可哀想なやつだなと思う。女耐性がゼロすぎてものの見事に同窓会マジックにかかっている。社会人一年目で、これからたくさん出会いがあって、輝かしい未来が待っているであろう男がド地雷のドメンヘラにうつつを抜かす様はすごくつらい。やめとけそんな女! と第三者目線で思う。どこか遠くで幸せになっててほしい。

というのは本心だが建前でもある。もっと正直に言えば下手に付き合ってまた疎遠になってまた信じられん期間を信じられん引きずり方で過ごすのは私が耐えられないから嫌だ。人はいつか死に、関係はいつか終わる。12年ぶりに再会した元カノという希少価値は会う度に輝きを失う。幻滅チャンスを増やしそうなのであまり会いたくない。でも一生遊んでほしい。私は銀の庭がほしい!


結局「アホな理由で帰ってくるな、半年に1回会うぐらいが丁度良いんだ」と返した。細く長く、希少価値を失わない程度に期間を空けて遊べたら嬉しいなと思った。そこからバカスカ酒を入れたので記憶が曖昧になっている。なんかめっちゃ楽しい〜! また遊べて嬉しい〜! というテンションになっており、冷静になったのは駅からの帰り道だった。手繋いでね? と気づいた。

ギャーッ! と言いながら男から離れて、「一旦酒を買わせてくれ」と懇願してパック梅酒をぶち込んだ。良い感じにわからなくなり安堵、公園に向かう。男に「今度会った時告白して良い?」と聞かれ、「おまえのためにならんからやめとけそんな女!」とキレた。薄々アレか……? と察してはいたけれど明確な言葉にされると動揺が梅酒に勝り、全体的に記憶の飛び方が甘い。耐えきれず2度目のコンビニに向かい鬼ころしを入れて、しばらくの後思考が止まった。ここからが最悪だった。

ただでさえ飲みまくっていたところにパック梅酒と鬼ころしを急速にぶち込んで私の脳は壊れた。壊れたので、「やめとけそんな女!」以外のことも全部言ってしまった。下手に付き合って疎遠になるぐらいなら一生友達として遊んでくれ、また12年引きずるのは嫌だ、銀の庭になってくれ、を全部だ。重すぎる! しかもなんか……しかもなんか男とベタベタしながら話してた気がする! ギャーッ!!


男が送ってくれたのかともかく私は帰宅し、根性で風呂に入って気絶した。ハンパないダルさで目覚めた翌日「次こっち遊びに来てね」と男からLINEが来て昨晩のメンヘラぶりが走馬灯のように過ぎり、もう死んじゃおっかな……と思うことになった。恥の多い生涯というか恥が連続したものを生涯と呼んでいるありさまだ。

現在社畜として外回り中なのだが、思い出す度ギャーッ! となる。ギャーッ! となってばかりいるので財布を忘れ見積もりを忘れ何もかも全部ダメになっている。本当にお酒をやめた方が良い。でもお酒がないと生きていけない……。

私は次どんな顔をして男に会えば良いんだろう。

同窓会で元気そうな顔を見て、それで終わりのつもりだった。お互い綺麗な思い出にして次行こうぜ、の計画がとにかく台無しになっている。思えば私はこの男に関して物事が上手く運んだ試しがない。

告白して良い? とか言ってたけど本気だろうか。なんて返せば良いんだろう。断ったらもう遊んでもらえないんだろうか。てか私遊ばれてない!? もうヤダ泣

再会後

先日再会した男と遊びに行くことになった。久々にバドミントンをやって、その後飲む予定。

同窓会の後男から「この間金出してもらったし飯おごるわ」と連絡があり、だいたいスマホにかじりついているインターネット依存症の私は「やった~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!」と三秒後に送りたかったが大人なので自重した。即既読即返信でビビらせて引かれたくない。最低でも十分程度時間を空けてから返信するようにしていた。もう二度と友達に戻れないんだ……と絶望していたので、こうしてまた連絡が取れるようになったのは本当に嬉しい。下手なことをしてまた中学高校時代のように気まずい感じになったらいよいよ精神的に耐えられないので、とにかく慎重に言葉を選んだ。

この私がラインの返信なんぞで悩むのはなかなかの異常事態である。店の希望ある? と言われて、またお前と遊べるなら公園の水でかまわん……と思っていたが重すぎるので「酒さえあればどこでも良いよ笑」みたいなことを送った。なにわろてんねん。

男が店を選んでくれて、席を予約してくれた。夜から飲む予定だったから、せっかくだしその前にバドミントンやろうぜ、と誘われた。男も私もバドミントン部なのだ。懐かしすぎ! 絶対楽しいじゃん!

当日の集合について確認するため十分経過(即既読即返信防止)するのを待つ。地元の最寄り駅から一緒にラウンドワン行って、その後酒飲んで帰るかぁ~くらいに計画していた。

待っていると十分は意外と長く感じる。

で、その間に冷静になった。

バドミントンやってから飲みに行くってことは、集合から飲みに行くまでの間は完全にシラフだ。え? よく考えたら酒もなしにどうやって男と喋れば良いんですか?

バドミントン中は良いだろう。基本的に勝負事が好きなので、忖度無しで勝ちに行くつもりである。でも移動時間はどうだろう。やることがない。話題にも限界がある。

「今度同窓会やるんだけど来ない?」というメッセージすらハチャメチャに酒を入れ周囲に煽られやっと送れたのだ。同窓会で隣になって話したのもせいぜい数十分程度、周囲のアシストつきである。マジの一対一になって、それも結構長時間で、今更何を話せば良い? まともに話すことができたのならこんなことにはなっていない。中高六年の間に話し合って友達に戻るなりなんなりしている。

というか、先日の同窓会では男にいらんことをたくさん言った。県外就職と聞いて今生の別れだと勘違いし(後日月一で地元に帰ってくることが発覚した)、酒も入っていたので絶対に言わなくても良いようなことを平気で口にしていた。周囲に「結局当時男のこと好きだったの?」と聞かれて「めちゃくちゃ好きだった!」と公言し、男に「彼氏いないの?」と聞かれて「お前のせいでトラウマになったからおらんわ!」とキレたりしていた。そして最悪なことに途中から友人の介抱に回ったのでアルコール量が足りておらず、大半の記憶が残っている。ただでさえシラフで会うのは緊張するのに、直近で恥の記憶があっては顔向けできるはずもない。

そして私がはじき出した答えは「当日って現地集合で良い?」だった。これなら絶対に気まずくなる移動時間の共有を最小限に留め、最速で酒を入れることができる!

そして現在男からの返信が途絶えている。私変なこと言った!?泣 でも最寄り同じなのに向こうで合流って確かに変じゃね!?泣 もうわからん泣

再会

先日の記事で書いた「ちょっと会うのが気まずい男」と再会した。現在めちゃくちゃ酔っ払っているが、こういうのは新鮮さが大切だと思うので書く。

 

男と再会したのは同窓会だ。元々女子だけ、少人数で集まっていたのだが、せっかくだし男子も呼んでみない? という話になって同窓会が開催された。

男を呼んだのは他でもない、私である。

高校時代は一度も連絡を取らなかった男に対して、女々しくも連絡先を十年間(!)残し続けていた私は唯一の連絡先所持者であり、否が応でも窓口とならざるを得なかった。

酒の勢いで「今度同窓会あるから来ない?」とメッセージを飛ばし、一時間に一度は返信がないか確認していた。本当に女々しくて涙が出る。

男からの返信は諦めていたが、半日後「連絡ありがとう」「参加する」と返事が来た。

同窓会当日まで気が気ではなく、当日は一時間以上かけて顔面を作成した。あまり早く着きすぎても男と何を話せば良いか分からないだろうから(男は絶対に集合時間十分前に到着しているタイプなのだ)あえて時間ギリギリになるように店へ向かった。

集合時間丁度に店へ着いた。「ごめんお待たせ〜!」と言いながら合流することはあらかじめ決めていた。だから開口一番は大変スムーズで、何の違和感もなかったと思う。

男はそこにいた。良い意味で変わらない、あの頃のままの姿で背ばかりが伸びていた。小学校の頃より随分背が伸びたことは高校時点で把握していたが、すっとぼけて「背伸びたから全然わかんなかった〜!」などとほざいた。背が伸びたことはおろか、進学先まで把握していたけれど知らないふりをしていた。激重すぎるためだ。

参加者が集まって、店に入った。男とは席が離れていたから、ずっと当たり障りのない会話をしていた。しかし宴もたけなわとなり、自然と席がぐちゃぐちゃになった頃に男が隣にやってきた。何を話せば良いのかわからず、相変わらず卑怯な私は必要以上に酔ったふりをしていた。

喧騒の中、男は私に謝った。

中学校の頃、高校の頃、ずっと私に謝りたかったと語った。私が男の好意に迷惑していたと感じ取っていたらしく、「俺から謝るべきだった」と語った。男は就職先が県外で、私からの同窓会の誘いは謝る最後のチャンスだと思って乗ったらしい。私は酔ったふりも忘れて「私の方が悪かった」と謝った。言葉にしてみればなんてこともない、失われた十年はたった一言で救われてしまった。

「なんだよもう! お互いに申し訳ないな……と思ってただけかよ!」と悪態をつきながら机に突っ伏した私を、男は「泣いてんの?」と笑った。「泣いてないわ!」と言ったけれど、本当は泣いていたのかもしれない。

予定になかった二次会までみんなで行ったから、現在院生の男は持ち金が足りなかった。私が男のぶんまで払った。金を返さなきゃいけないならまた会ってくれるでしょ、というこれまた大変女々しい発言を残して店を出た。家まで男が送ってくれて、また会おうねと言って別れた。

玄関の鍵を開ける際、頬を撫でる風はぬるく、馬鹿みたいだけど、ちゃんと生きてて良かったと思った。また会えたら良いな。

銀の庭

本日は国際女性デーらしい。Twitterで色んな話が流れてきて、思い出したことがあるので書く。

 

ガキ時代は性自認があやしく、友達が男子ばかりだった。ファイアトルネードを出すためにサッカーをしていたし、Sケンでそこらじゅうに痣を作りまくっていた。ほうきと雑巾で野球をして「ちょっと男子〜!」とキレられる対象だった。クソガキだったのである。

でもそれも小学校高学年までで、性差が明確になる頃には立派な「女の子とのかかわり方がわからない社会不適合者」になっていた。今まで通り男子達と馬鹿をやりたくても「女とつるむのはちょっとね……」と敬遠されるし、実際身体能力の差も生じ始めていた。じゃあ女の子と仲良く、といっても嵐とキムタクの違いもよく分かっておらず、「男に媚び売ってる」判定を食らっていたガキが上手くいくはずもない。

教会に通っていたので、土日に遊んで仲良くなる、なんて選択肢もなかった。学校の居心地が悪くなりはじめたタイミングで両親が離婚し、家までクチャクチャになったので最終的に居場所は本の中になった。

そんな状況でも変わらず仲良くしてくれた男の子がいた。毎日のようにお互いの家でゲームをして遊んでいて、私は彼を親友だと思っていた。しかしガキ時代ならまだしも高学年になってもそんな事をしていると噂になる。いつのまにか「あの二人は付き合ってる」ということになっていて、毎日はやし立てられるようになった。

それがすごく嫌だった……訳ではなく、当時は「あの二人付き合ってるらしいよ」と笑われることに対して「それくらい仲が良く見えるのは喜ばしいね!」と思っていた。この先も一緒に遊べるなら自分たちの関係にどんな名前がつけられても良かった。

だから彼から「付き合ってほしい」と告白された時も「堂々とずっとゲームできるってこと?」としか考えておらず、二つ返事で「いいよ! 私も好き!」と答えた。

キリスト教情報統制+父と母のいない家庭で育ったので、現実の恋愛がどんなものか理解していなかった。恋愛フローチャートが「①一緒にいて楽しい(前提条件)」「②なんか手とか繋ぐ(過程)」「③将来的に結婚する(着地点)」というガバ加減で成り立っており、フローチャート①は満たしていているから、②に進むのも当然の流れかもな〜と受け入れた。単細胞だったのでちゃんと手を繋いだし、デートっぽいこともした。

そしてしばらくが経って、気づく。付き合う前の方が楽しかったことね? と。

別に手とか繋ぎたくなくね? と思いながら中学校に入学して、彼とは疎遠になってしまった。マンモス校だったのもあるが、私自身が彼を避けていたことが大きい。恋人っぽいことするの苦痛じゃね? と気づいてしまったので、申し訳なくて顔向けできなくなった。そのくせ自分からごめんなさいを言う勇気もなかった。コイツとやるゲームが絶対一番面白い! という確信があったから、どうにかして前みたいな友達に戻りたかった。

避けちゃってごめんね、って謝りたい……そして友達に戻りたい……などとモタモタしているうちに中学を卒業して、高校生になってしまった。実は高校も同じだったから、話すチャンスはいくらでもあった。猶予期間は中高六年間もあって、でも全部無駄にしてしまった。遂に大学で進路が別れて、その後彼がどうなったのか私は知らない。

 

以上、友情と恋愛履き違え迷惑女の昔話。

これは強烈なトラウマを私に植え付けた。現在に至るまで恋愛した〜い! という気力が一切湧かない。男友達を作ろうとも思わない。いつか失うのが怖すぎる。

引きずりすぎで笑っちゃうけど、未だに彼の夢を見て魘されたりする。安易に「いいよ!」とか言わなければ良かった。うっすら感じた嫌悪感を無視し続ければ良かった。避けたりしなければ良かった。何より、私が女じゃなければ良かった。

男に生まれていたら良かったのに、と思う。そしたら今でも幼なじみの親友としてゲームができたかもしれないのに。

でも結局私の卑怯さが招いた事態だから、性別なんてものは一つの要素でしかない。たらればで考えても過去は過去だし、私の身体は女だし、相変わらず恋愛はよくわからない。


実は今度彼に会う機会がある。

実現するかはわからないけど、ちゃんと会って話がしたい。もう10年以上前の出来事をずっと気にしてる女とか重すぎでバカウケ必至だし、彼にはすっかり忘れ去られてる気もする。でも彼が私のことなんてなかったことにして楽しくやっているのだとしたら、ようやく肩の荷を下ろして次に進める気がする。

なんかここまで来ると「友情と恋愛履き違え迷惑女」ではなく単に「激重初恋引きずり迷惑女」かもしれない。実はちゃんと恋してたのかも。

様々な経験からようやく悟ったけど、私は一度手に入れた物や環境、関係にものすごく執着するタイプらしい。変わらないものなんてないのにね。ずっと君の銀の庭を歌い続ける化け物になるか〜。

さかまつげ手術

さかまつげの手術をしてきた。現在絶賛ダウンタイム中で、下まぶたがめちゃくちゃ腫れている。私は下まぶたが内反しており、下まつげが眼球に向かって生えていた。今回の施術内容は「下まつげのギリギリ部分を切り、まぶたが外側を向くように縫う」というものだった。

手術に対する恐怖心はさほどなかった。まぶたを切られ、縫われていることより、仕事のやらかしのほうが恐ろしかった。ずっと(まずいよな……どうしようかな……)と考えている内に手術が終わった。

眼科の保険適用手術だったから、審美性については二の次になるらしい。術前から術後まで一度たりとも鏡を渡されることはなかった。家に着くころには麻酔も切れつつあって、ズキズキした痛みに襲われていた。手術自体が平気でも流石に見た目がどうなったかは恐ろしく、鏡を見るまで気が気じゃなかった。

帰ってようやく仕上がりを確認した。痛々しい傷跡、黒い糸、腫れ上がった目元……。

しかしまぶたの内反は確かに治っており、これなら眼球にまつげが突き刺さることもないのでは? と思えた。心配していた左右差もさほどなく、白目が拡大した気もする。手術のために下まつげは切られたので(悲しすぎる)、生えてきたら効果のほどを見定めたい。


鏡を見ながら、私もだいぶ顔変わったな……と思った。脱毛、アートメイク、ほくろ除去と少しずつだがアップデートを繰り返しており、今回に関しては初の抜糸を必要とする手術だった。当然多少顔つきが変わる。

私は顔面に対する課金が好きだ。化粧も大好き。整形もどんどんしたいと思っている。世の中は美人に優しく、ブスに厳しい。なので美人になりたい。


顔面で対応全然変わる、と気づいたのは大学生になってからだ。いつもすっぴんで出勤していたコンビニのバイトに、たまたま化粧をしていったらみんなの対応が全然違った。そこでやっと「ブスでも化粧をすると良い、というかむしろブスこそ化粧をすべき」と学んだ。すっぴんだと「無能」判定だったのに、ちょっと顔を描けば「ドジっ子」ということになるらしい。世の中馬鹿げている。

それまで「自分は母親に似ていないから何をしても無駄だろう」と考えていた。母は美しく、常に複数人パトロンがいていろいろお金を出してくれるレベルだった。遺伝子的に考えれば私に受け継がれるはずなのだが、まったく受け継がれなかった。パトロンが連れて行ってくれたディズニーや沖縄の写真を見ると、母と並んだガキの私は可愛さのかけらもなかった。パトロンは母と娘におそろいの服をプレゼントしがちだ。残酷なくらい差が浮き彫りになっていた。

母はぱっちり二重、ハーフに間違えられる顔、ついでに巨乳である。対して私はがっつり一重、平たく薄い顔、ついでに絶壁だった。そりゃあ性格も歪む。

胸はあっても邪魔くさそうだから良いとして、顔については本当にコンプレックスだった。「お母さん美人だね」と言われる度に「お前はそうじゃないね」と言われている気がして辛かった。でも化粧をすれば、ちょっとだけ認めてもらえるらしい。


一重が嫌で、アイプチを繰り返している内に癖がつき二重になった。眉毛がないのが嫌で、アートメイクをしてちゃんと眉毛があるようになった。ほくろが嫌で、レーザーで焼いて前髪がなくても平気になった。

そしてこの度さかまつげが嫌で手術をした。嫌な部分をなくすためにいろいろやった顔だから、前よりはずっと好きだ。


「男の人には自然な顔が一番モテるよ」と祖母にはよく言われるのだが、男のために顔面を整えた覚えは一切無い。顔面で態度がころっと変わった男(多分私が美人なわけではなく、俺でもいけそう! と思えるラインにいるのが原因だと思う。この件はまた考えて書きたい)を何人も見たせいで、初対面の男は総じて「うっすら嫌い」というステータスに置かれているからだ。全然モテたくない。でも「男って雰囲気だけでも美人に寄せとくと馬鹿みてぇに優しくなってチョロいぜ~」と思ってるから、結局男のために顔面を整えてるのかもしれない。


自分の顔が好きじゃないから、私のスマホには自分の写真がほぼ入っていない。撮ったとしても消すようにしている。いつか自分の写真を堂々と残せるようになったら勝ちかな、と思う。自分のことを好きになれたら良い。

次は裏ハムラ(とにかくクマが酷い)か、目頭切開(死ぬほど魚顔)やりたい!

社畜近況

ビジネス本より小説が好きで、歌集が好きで、映画やフィクションが好きだった。文学部に進んだのもそんな理由で、生きる上で必要はないけど、人生が豊かになることを学びたかった。

恥ずかしながら何か文章にかかわる仕事に就けたらいいな、とぼんやり思っていて、そういうのって出版とかかなぁ~と考えていた。文章講座に通ったり、同人誌を出したりしていた。

 

ラーメンが食べたいとか家がつらいとか、自カプ語りとか自虐とか。証拠と言えば聞こえは良いが、何の役にも立たないどころか恥でしかない考えを文章にして残している。ふとした瞬間発狂して全部消してしまいたくなるのだけれど、それでも生きていた瞬間瞬間が詰まっている気がして、不思議と消せない。

どうせ全員死ぬんだから、役に立たないことばかり考えて、役に立たないことばかり残したい。そんな風に思っていた。

だから数年前は何の役にも立たないことばかり考えて、何の役にも立たないツイッターに打ち込んでいた。それが好きだったから。

 

悲しきかな、現在は今朝来ていた問い合わせメール、来週までに必要な資料内容、今期の見込み案件と現状達成率、来期の弾込め。基本これらを必死に考えている。

どうでも良いこととか考えてる場合じゃない。好きだのなんだのは二の次で良い。

 

文章にかかわる仕事に就きたい、なんてふわっとした夢は捨てて、私は現実を取った。

今や時代は前代未聞の出版不況で、この先再興の兆しはないという。養う家族と奨学金と、どちらも背負った状態で斜陽産業に飛び込む覚悟はなかったから、安定していそうなITインフラを選んだ。ド素人の文系だったから、職種は営業一択だった。

未経験のIT、しかも営業職となると毎日が怒濤の勢いで過ぎ去っていく。余計なことを考えている暇はなく、日々新しい知識をたたき込み、同時並行でタスクをこなし、もうとにかくいっぱいいっぱいだった。二年目の四月以降、仕事が本格化してから脳のメモリは一気に余裕がなくなった。

 

余裕がないのに、もしくは余裕がないからこそ、私の脳は一生懸命何の役にも立たないことを考えようとした。

元々二人で担当していた営業活動だったが、九月からは一人で回すことになり、単純計算で負担が倍になった。脳内メモリの余裕はゼロどころかマイナスで、それなのに「そういえば」の連想ゲームが悪化した。

明日は岐阜県に行かないと、やだな……岐阜県と言えば高山の案件ってどうなったんだっけ、揉めたしやだな……高山は雪すごいだろうなぁ、やだな……あ、雪と言えば静岡でも降ったとか言ってたな、やだな……あっ電話かかってきた、やだな……上司かな、やだな……あっ上司に確認依頼したやつ帰ってきてない、催促しなきゃ……あ〜やだな……。

こんな調子でメモリ数はないのにどんどんソフトを起動するみたいに窓が増えた。一回一回「やだな……」と思っているので処理が重い。やがて本体の挙動が遅くなる。突然フリーズする。いよいよおかしくなる。 


で、いよいよおかしくなった結果、取引先に向かう電車でぼろぼろ涙が出てきた。わりと涙もろい自覚はあるものの、その時は別に悲しくもなんともなく「だりぃな~」くらいしか考えてなかった。だから本当にびっくりした。
まじかぁ、と思っていたら会社の内輪飲みで号泣したらしい(最悪なことに記憶が無い)し、難聴再発するし、眠りは浅いし、ある朝もうダメだと思って会社を休んだ。会社には耳鼻科に行くと言ったけど、向かったのは心療内科だった。

何回か通って、結果双極Ⅱ型っぽいということになった。診断書出す? 休職できるよ? と言われたが、一応大黒柱だし、奨学金もあるし、今後に響くと困るのでやめた。かわりに平日はラツーダ、休み前は酒で思考を止めることにした。思考停止で働くのは楽だった。

 

楽にはなったが、もちろん代償もあった。薬と酒で情緒ソフトの起動を止めているから、全然創作ができなくなった。
文章からもすっかり遠ざかっていて、その間にツイッターはXになった。学生の頃は無邪気に「オタクやめてぇ~……でも社会人になってもキモオタクやってるんだろうな……」とか言ってたけど、実際はオタク要素が消えかけていて、私に残ったのは「キモ」だけだった。

平日はひたすら家と会社を往復し、土日はひたすらベッドで寝ていた。薬と酒で思考が停止しているから、時間の進みだけが異様に早かった。

 

生きるために仕事してんだか仕事のために生きてんだかわかんなくなってきた夜半、急に通知が鳴った。スプラトゥーンの片手間に見るとはてなブログと書いてある。ほとんどのアプリの通知は切っていたから、どうやら触ってなさすぎて通知設定がそのままになっていたことすら気づかなかったらしい。

 

「いまなにしてる?」
と書いてあった。
運営からの通知か? それともbot? まあ試合終わってからちゃんと見るか……。

終わった後にちゃんと見てみると、めちゃくちゃ懐かしいIDだった。高校時代の友人だ。あまりにもびっくりしたから、「スプラトゥーン」と送信しかけて、「いやそういうことじゃないだろ」と思いとどまる。

コメントだけじゃなく彼女のブログも更新されていて、読んでいるうちに「キモ」だった私が「キモオタク」に戻っていくのを感じた。ハイパー社畜から本来の人間像に近づいた気がした。

久々にメモリが情緒のために動き始めて、数日後には実際に会っていた。思考を止めるためじゃなくて、誰かと話すためにお酒を飲むのは久しぶりだった。


で、今久々に文章を書いている。

望まぬ進学先で苦しんでいただろうから決して言わなかったけれど、私は高校時代、彼女が入るつもりもなかった高校に入ってきてくれて良かったなと思っていた。高校以前は「賢い人間は皆馬鹿と貧乏を見下している」と思いこんでいたので、世の中の全部が敵に見えていた。自分より頭が良い人と友達になれるはずがない、と考えていた私にとって、私が馬鹿なことを知りながらも仲良くしてくれる人間の存在は人生における「確変」だった。

本人は覚えていないかもしれないけれど、彼女が「鯨の胎児のホルマリン漬けがこわかった 産まれることもできなかったのに悪いことしてるみたいで」と表現したことが印象的で、ずっと忘れられないでいる。頭が良い人は言語化にも秀でているのだなぁと思った。

そしてこれも覚えていないかもしれないけれど、彼女はよく私のブログを読んでくれて、なんなら更新催促もしてくれた。単純なもので、文章化が上手い人に自分が書いたものを読んでもらえるのは嬉しかった。

確変がなかったら私はずっと仮想敵と戦っていただろうし、何か書き続けていることもなかったと思う。

内申点稼ぎのために友達が全然いなかったこと。推薦で自称進学校に入り全くついていけなかったこと。

これらが確変に繋がったわけなので、文学部のくせにIT系に就職したことも、躁鬱判定食らって情緒が死んだのも、終わってみれば「良かったね」って笑えるんじゃないかなと思える。

すくなくとも高校時代の友人から五年ぶりに連絡をもらって再会して、また文章を書いている現在に繋がったので、私にしては大健闘だ。

ひとまず「キモ」から「キモオタク」に戻るためのリハビリをしていきたい。

また文フリに出るため、日々くだらないことを考えて生きてゆこうと思う。

マジで人生が生きづらいので一回「マジで人生が生きづらいです」とお医者様に相談してみたいのだけれど、マジで人生が生きづらいレベルのビビりなのでひよっている。病院に行って「え!? その程度で病院来たの!?」と思われるのが怖すぎるからだ。

人生つらくて早く死にたいんだけど、実はみんな人生つらくて、でもちゃんと我慢して、人生頑張ってるんじゃなかろうか。私の「人生つらいよ泣」は怠惰から来るものなのではなかろうか。本当の本当に人生がつらくて祈るような気持ちで病院に来た方々に申し訳ない。
生きづらいなどと言っているけれど、私自身の性質や人格そのものに問題があって、それを改善していこうという気概がないからこそ「生きづらい」になっているのでは? と判明してしまうのが怖い。

受診の結果病名がついたらまだ救われる気がする、という言い方は悩んでいる方々に失礼な気がするが、それ以外に適当な言葉が浮かばない。あ、私って病名がつくぐらいちゃんと生きづらかったんだ……という客観的証明を得られた気がして、なんとなく安心する。病名がつかなかった場合が恐ろしいので、受診しないことでグレーを保っている。そして現在に至る。

 

みんなどうやって人生生きてるんだろう。私的にしっくり来る説明は太宰治の『葉』だ。みんなにはみんなの着物があって、そうしてだましだまし延命して、そのうちに寿命が来るのかなと思ったりする。

私の着物は犬だった。現在は猫だ。
その他にも祖父母や弟、友人などが挙げられるのだけれど、これらの着物は総じていつか失われる。今から怯えていてどうするのだという話だが、犬が死んでしまった時があまりにもショックでトラウマになっているので、既に失った時のシミュレーションを始めている。

そんなことばかり考えていると落ち込んでくるので、アルコールをぶち込んで無理やり思考を止めることにしている。今も悪い方向に思考が向かっている自覚があるので、めちゃくちゃ酒が飲みたくなっている。

マジで人生が生きづらいとかの前にアル中になって死ぬ気がする。本末転倒だね。

死にたいっていうか「救われたい」が正確な望みなんだけど、生きてる限り救われない気がするから死にたい。自殺、消極的救済システムだと思う。