√3は3の倍数である

数弱は焦っていた。テスト終了まで、残り時間はわずか。依然として埋まらない解答欄。何か、何か書かなくては。数弱は、無心でシャープペンシルを走らせた。最後の気力を振り絞る。そこでテスト終了を告げるチャイムが鳴り響いた。——やりきった。白い解答欄の中で、『n=√3α(αは整数)よりnは必ず3の倍数となる』、この文字列が一際輝いていた。

社畜近況

ビジネス本より小説が好きで、歌集が好きで、映画やフィクションが好きだった。文学部に進んだのもそんな理由で、生きる上で必要はないけど、人生が豊かになることを学びたかった。

恥ずかしながら何か文章にかかわる仕事に就けたらいいな、とぼんやり思っていて、そういうのって出版とかかなぁ~と考えていた。文章講座に通ったり、同人誌を出したりしていた。

 

ラーメンが食べたいとか家がつらいとか、自カプ語りとか自虐とか。証拠と言えば聞こえは良いが、何の役にも立たないどころか恥でしかない考えを文章にして残している。ふとした瞬間発狂して全部消してしまいたくなるのだけれど、それでも生きていた瞬間瞬間が詰まっている気がして、不思議と消せない。

どうせ全員死ぬんだから、役に立たないことばかり考えて、役に立たないことばかり残したい。そんな風に思っていた。

だから数年前は何の役にも立たないことばかり考えて、何の役にも立たないツイッターに打ち込んでいた。それが好きだったから。

 

悲しきかな、現在は今朝来ていた問い合わせメール、来週までに必要な資料内容、今期の見込み案件と現状達成率、来期の弾込め。基本これらを必死に考えている。

どうでも良いこととか考えてる場合じゃない。好きだのなんだのは二の次で良い。

 

文章にかかわる仕事に就きたい、なんてふわっとした夢は捨てて、私は現実を取った。

今や時代は前代未聞の出版不況で、この先再興の兆しはないという。養う家族と奨学金と、どちらも背負った状態で斜陽産業に飛び込む覚悟はなかったから、安定していそうなITインフラを選んだ。ド素人の文系だったから、職種は営業一択だった。

未経験のIT、しかも営業職となると毎日が怒濤の勢いで過ぎ去っていく。余計なことを考えている暇はなく、日々新しい知識をたたき込み、同時並行でタスクをこなし、もうとにかくいっぱいいっぱいだった。二年目の四月以降、仕事が本格化してから脳のメモリは一気に余裕がなくなった。

 

余裕がないのに、もしくは余裕がないからこそ、私の脳は一生懸命何の役にも立たないことを考えようとした。

元々二人で担当していた営業活動だったが、九月からは一人で回すことになり、単純計算で負担が倍になった。脳内メモリの余裕はゼロどころかマイナスで、それなのに「そういえば」の連想ゲームが悪化した。

明日は岐阜県に行かないと、やだな……岐阜県と言えば高山の案件ってどうなったんだっけ、揉めたしやだな……高山は雪すごいだろうなぁ、やだな……あ、雪と言えば静岡でも降ったとか言ってたな、やだな……あっ電話かかってきた、やだな……上司かな、やだな……あっ上司に確認依頼したやつ帰ってきてない、催促しなきゃ……あ〜やだな……。

こんな調子でメモリ数はないのにどんどんソフトを起動するみたいに窓が増えた。一回一回「やだな……」と思っているので処理が重い。やがて本体の挙動が遅くなる。突然フリーズする。いよいよおかしくなる。 


で、いよいよおかしくなった結果、取引先に向かう電車でぼろぼろ涙が出てきた。わりと涙もろい自覚はあるものの、その時は別に悲しくもなんともなく「だりぃな~」くらいしか考えてなかった。だから本当にびっくりした。
まじかぁ、と思っていたら会社の内輪飲みで号泣したらしい(最悪なことに記憶が無い)し、難聴再発するし、眠りは浅いし、ある朝もうダメだと思って会社を休んだ。会社には耳鼻科に行くと言ったけど、向かったのは心療内科だった。

何回か通って、結果双極Ⅱ型っぽいということになった。診断書出す? 休職できるよ? と言われたが、一応大黒柱だし、奨学金もあるし、今後に響くと困るのでやめた。かわりに平日はラツーダ、休み前は酒で思考を止めることにした。思考停止で働くのは楽だった。

 

楽にはなったが、もちろん代償もあった。薬と酒で情緒ソフトの起動を止めているから、全然創作ができなくなった。
文章からもすっかり遠ざかっていて、その間にツイッターはXになった。学生の頃は無邪気に「オタクやめてぇ~……でも社会人になってもキモオタクやってるんだろうな……」とか言ってたけど、実際はオタク要素が消えかけていて、私に残ったのは「キモ」だけだった。

平日はひたすら家と会社を往復し、土日はひたすらベッドで寝ていた。薬と酒で思考が停止しているから、時間の進みだけが異様に早かった。

 

生きるために仕事してんだか仕事のために生きてんだかわかんなくなってきた夜半、急に通知が鳴った。スプラトゥーンの片手間に見るとはてなブログと書いてある。ほとんどのアプリの通知は切っていたから、どうやら触ってなさすぎて通知設定がそのままになっていたことすら気づかなかったらしい。

 

「いまなにしてる?」
と書いてあった。
運営からの通知か? それともbot? まあ試合終わってからちゃんと見るか……。

終わった後にちゃんと見てみると、めちゃくちゃ懐かしいIDだった。高校時代の友人だ。あまりにもびっくりしたから、「スプラトゥーン」と送信しかけて、「いやそういうことじゃないだろ」と思いとどまる。

コメントだけじゃなく彼女のブログも更新されていて、読んでいるうちに「キモ」だった私が「キモオタク」に戻っていくのを感じた。ハイパー社畜から本来の人間像に近づいた気がした。

久々にメモリが情緒のために動き始めて、数日後には実際に会っていた。思考を止めるためじゃなくて、誰かと話すためにお酒を飲むのは久しぶりだった。


で、今久々に文章を書いている。

望まぬ進学先で苦しんでいただろうから決して言わなかったけれど、私は高校時代、彼女が入るつもりもなかった高校に入ってきてくれて良かったなと思っていた。高校以前は「賢い人間は皆馬鹿と貧乏を見下している」と思いこんでいたので、世の中の全部が敵に見えていた。自分より頭が良い人と友達になれるはずがない、と考えていた私にとって、私が馬鹿なことを知りながらも仲良くしてくれる人間の存在は人生における「確変」だった。

本人は覚えていないかもしれないけれど、彼女が「鯨の胎児のホルマリン漬けがこわかった 産まれることもできなかったのに悪いことしてるみたいで」と表現したことが印象的で、ずっと忘れられないでいる。頭が良い人は言語化にも秀でているのだなぁと思った。

そしてこれも覚えていないかもしれないけれど、彼女はよく私のブログを読んでくれて、なんなら更新催促もしてくれた。単純なもので、文章化が上手い人に自分が書いたものを読んでもらえるのは嬉しかった。

確変がなかったら私はずっと仮想敵と戦っていただろうし、何か書き続けていることもなかったと思う。

内申点稼ぎのために友達が全然いなかったこと。推薦で自称進学校に入り全くついていけなかったこと。

これらが確変に繋がったわけなので、文学部のくせにIT系に就職したことも、躁鬱判定食らって情緒が死んだのも、終わってみれば「良かったね」って笑えるんじゃないかなと思える。

すくなくとも高校時代の友人から五年ぶりに連絡をもらって再会して、また文章を書いている現在に繋がったので、私にしては大健闘だ。

ひとまず「キモ」から「キモオタク」に戻るためのリハビリをしていきたい。

また文フリに出るため、日々くだらないことを考えて生きてゆこうと思う。