さかまつげの手術をしてきた。現在絶賛ダウンタイム中で、下まぶたがめちゃくちゃ腫れている。私は下まぶたが内反しており、下まつげが眼球に向かって生えていた。今回の施術内容は「下まつげのギリギリ部分を切り、まぶたが外側を向くように縫う」というものだった。
手術に対する恐怖心はさほどなかった。まぶたを切られ、縫われていることより、仕事のやらかしのほうが恐ろしかった。ずっと(まずいよな……どうしようかな……)と考えている内に手術が終わった。
眼科の保険適用手術だったから、審美性については二の次になるらしい。術前から術後まで一度たりとも鏡を渡されることはなかった。家に着くころには麻酔も切れつつあって、ズキズキした痛みに襲われていた。手術自体が平気でも流石に見た目がどうなったかは恐ろしく、鏡を見るまで気が気じゃなかった。
帰ってようやく仕上がりを確認した。痛々しい傷跡、黒い糸、腫れ上がった目元……。
しかしまぶたの内反は確かに治っており、これなら眼球にまつげが突き刺さることもないのでは? と思えた。心配していた左右差もさほどなく、白目が拡大した気もする。手術のために下まつげは切られたので(悲しすぎる)、生えてきたら効果のほどを見定めたい。
鏡を見ながら、私もだいぶ顔変わったな……と思った。脱毛、アートメイク、ほくろ除去と少しずつだがアップデートを繰り返しており、今回に関しては初の抜糸を必要とする手術だった。当然多少顔つきが変わる。
私は顔面に対する課金が好きだ。化粧も大好き。整形もどんどんしたいと思っている。世の中は美人に優しく、ブスに厳しい。なので美人になりたい。
顔面で対応全然変わる、と気づいたのは大学生になってからだ。いつもすっぴんで出勤していたコンビニのバイトに、たまたま化粧をしていったらみんなの対応が全然違った。そこでやっと「ブスでも化粧をすると良い、というかむしろブスこそ化粧をすべき」と学んだ。すっぴんだと「無能」判定だったのに、ちょっと顔を描けば「ドジっ子」ということになるらしい。世の中馬鹿げている。
それまで「自分は母親に似ていないから何をしても無駄だろう」と考えていた。母は美しく、常に複数人パトロンがいていろいろお金を出してくれるレベルだった。遺伝子的に考えれば私に受け継がれるはずなのだが、まったく受け継がれなかった。パトロンが連れて行ってくれたディズニーや沖縄の写真を見ると、母と並んだガキの私は可愛さのかけらもなかった。パトロンは母と娘におそろいの服をプレゼントしがちだ。残酷なくらい差が浮き彫りになっていた。
母はぱっちり二重、ハーフに間違えられる顔、ついでに巨乳である。対して私はがっつり一重、平たく薄い顔、ついでに絶壁だった。そりゃあ性格も歪む。
胸はあっても邪魔くさそうだから良いとして、顔については本当にコンプレックスだった。「お母さん美人だね」と言われる度に「お前はそうじゃないね」と言われている気がして辛かった。でも化粧をすれば、ちょっとだけ認めてもらえるらしい。
一重が嫌で、アイプチを繰り返している内に癖がつき二重になった。眉毛がないのが嫌で、アートメイクをしてちゃんと眉毛があるようになった。ほくろが嫌で、レーザーで焼いて前髪がなくても平気になった。
そしてこの度さかまつげが嫌で手術をした。嫌な部分をなくすためにいろいろやった顔だから、前よりはずっと好きだ。
「男の人には自然な顔が一番モテるよ」と祖母にはよく言われるのだが、男のために顔面を整えた覚えは一切無い。顔面で態度がころっと変わった男(多分私が美人なわけではなく、俺でもいけそう! と思えるラインにいるのが原因だと思う。この件はまた考えて書きたい)を何人も見たせいで、初対面の男は総じて「うっすら嫌い」というステータスに置かれているからだ。全然モテたくない。でも「男って雰囲気だけでも美人に寄せとくと馬鹿みてぇに優しくなってチョロいぜ~」と思ってるから、結局男のために顔面を整えてるのかもしれない。
自分の顔が好きじゃないから、私のスマホには自分の写真がほぼ入っていない。撮ったとしても消すようにしている。いつか自分の写真を堂々と残せるようになったら勝ちかな、と思う。自分のことを好きになれたら良い。
次は裏ハムラ(とにかくクマが酷い)か、目頭切開(死ぬほど魚顔)やりたい!