24歳児

色々あって彼氏ができた。色々、の部分にあたる大半をブログにしてしまったので、経緯については改めて書くことがない。

「例の男と付き合うことになりました」と先輩に報告したら、おめでとう、の次に「心を許せる人ができると良いね」と言われた。ぎょっとした。なるべく他人を信用しないという私のポリシーは会社で見せたことがないはずなのに、ちゃんと見透かされていたのだ。


私はどうしても物事を斜めに見てしまう。これは昔から抜けない悪癖で、つまり生涯厨二病なのだと覚悟している。逆張りってやつだ。冷笑のスタンスが骨の髄まで染み付いていて、流行にはケチをつけたくなるし幸せそうなやつは憎い。親切の裏にある打算を探し回って他人を疑ってばかりいる。男と付き合うことを選んだのは私なのに、頭の片隅で冷めた私がずっと「馬鹿じゃねぇの」と囁いている。

最初からこうだったわけではないと思う。たぶん、父親がいなくなったあたりから性格が歪み始めた。父は母や祖父母を保証人として借金を作り、終ぞ返済することはないままいなくなった。

子どもながらにどうやら父親のせいで家が大変なことになったらしい、と察することはできた。元凶である父は当然ダメ人間代表として扱われており、母と祖母はいつも父を非難していた。

私は正直、あまり父を悪く言わないでほしいと思っていた。言うほど悪い人じゃないよ、と心の中で反論していた。高校行けないかも……まで追い込まれたくせに、なんとびっくり、変わらず父が好きだったのだ!

とはいえ父の無責任さも理解していた。そこで「毎月養育費を振り込んでくれてる」と自分が納得できる擁護ポイントを見つけ出した私は、以降預金通帳だけで父と細く繋がっていた。毎月振り込まれるお金は目に見える愛情だったから安心した。理由があるから父を好きでいて良いし、庇ってあげても良いんだと思えた。裏を返せばお金が振り込まれなくなったとたん父を好きでいることも庇うこともできなくなることを意味していたのだけれど、当時の私は気づかなかった。 ほどなくして振り込みは途絶え、私は大いに混乱することになった。


人を好きでいることってものすごく難しいなと思う。感情がプラスに傾くって良い事のように見えるけど、通常の凪いだ状態に戻っただけでも相対的にはマイナスに動いたことになってしまうから苦しい。私は躁鬱の傾向があるので、躁のあとには必ず鬱がやって来るのだと知っている。2階から落ちた時より50階から落ちた時のほうが大きなダメージを受けるのは明白だから、過度にプラスの感情を抱きたくない。勝手に期待して勝手に裏切られて勝手に50階から落っこちた思い出は色々ある。父の振り込みが止まった日、犬が死んだ日、男が他人行儀に「〇〇さん」なんて呼んでくるようになった日だってそうだ。いずれも手酷く傷ついて、もう二度と繰り返さないぞ、と誓った。

しかし愚かなので(あれ、同じ道辿ってない?)という状況はしばしば発生する。そんな時は50階から落ちることになる前に5階くらいから落ちとくか、と自主的に身投げしていた。(これを言ったら、これをやったらきっと嫌われるだろうな)というラインぎりぎりを攻めてみて、相手の反応を伺う。許してくれたらまだ愛想が尽かされてないってわかるから一安心。嫌われても意図的に嫌われにいったんだからそんなにつらくない。やっぱり気の迷いで親切だっただけじゃん! 信用しなくて良かった〜! という具合で、どっちに転んでも私に都合が良い。そういうことを繰り返して、たくさんの人に迷惑をかけた。

この身投げはどうやら世の中で「試し行動」と呼ばれているらしい。主に子供がわざと親を困らせて気を引く行為のことを指す。じゃあ私って呆れるくらいにガキなんだなと思った。24歳、というか今年25歳になるのでもうすぐアラサーだというのに、精神がまったく年齢についてこない。簡単に人間を信用しないぜ! とか思ってる割にこの人は信用して良いのか、つまり私を見捨てないのかが気になって破滅的言動に至ってしまう。人を愛し、愛されたいぜ……と昔から冗談めかしてよく言っていたけれど、案外本気でそう願っているのかもしれない。

現在私は(あれ、同じ道辿ってない?)の状況にある。かつて男と付き合って50階から落っこちたことを思うと、どう考えても同じ轍を踏みにいっている。でも今回は「5階に到達したから」って理由で相手を試すような真似はしないようにしたい。落ちたら痛いだろうな、って恐怖心に負けないように、ちゃんと誠実に人間に向き合いたい。

男はもちろん、「心を許せる人ができると良いね」と祝福してくれた先輩にも、「先輩が心を許せる人ですよ!」って言えるようになりたい。24歳児なりに頑張ってみて、50階から落ちた時、100階から落ちた時に「意外と生きてて草」って、そう思えたら良いなぁ。