√3は3の倍数である

数弱は焦っていた。テスト終了まで、残り時間はわずか。依然として埋まらない解答欄。何か、何か書かなくては。数弱は、無心でシャープペンシルを走らせた。最後の気力を振り絞る。そこでテスト終了を告げるチャイムが鳴り響いた。——やりきった。白い解答欄の中で、『n=√3α(αは整数)よりnは必ず3の倍数となる』、この文字列が一際輝いていた。

ゼロの執行人を観た

 劇場版名探偵コナンゼロの執行人を観てきた。
 本作の評判はTwitterの口コミなどで把握していた。曰く、「日本になって安室透に抱かれる」とのこと。おいおい、何を言っているんだ。オタク特有の語彙力大爆発だろう。そう思っていたものの、Twitterでも評判は右肩上がりだ。驚くべきスピードで、タイムラインには「安室の女」が増えていく。これは私も一度観てみるか、と重い腰を上げ、この度劇場へと足を運んだ。
 月曜の午後七時を過ぎていたにもかかわらず、劇場は案外賑わっていた。大学帰り、一人きりでのこのこ執行されに来てしまったオタクが、周囲に怯えていたことは言うまでも無いだろう。
 とはいえ、近くの席の女性二人組は完全にオタクだった。会話の節々から察するに、どうやら二度目の執行らしい。
「日本になる」
 そんなパワーワードが飛び交っているのだ。十中八九オタクだろう。非常に信頼できる。私は一人ポップコーンを貪りながら上映開始を待った。

 さて、結果としてオタクがどうなったかというと、日本になった。
 ここで読者諸君に謝らなければならないのは、これまで私が喪女詐欺をしてきてしまった、といいうことだ。私は日本として既に安室透に抱かれた身だったのである。恋人がいない、などと長年嘘をついていたことになる。この点については大変申し訳ない。
 ただし、思い出してほしい。読者諸君が日本国民である限り、読者諸君もまた、安室透の恋人なのである。誰しもが安室透の恋人であると主張することが可能なのだ。それは逆説的に見て、安室透は誰のものでもない、ということなのかもしれない。けれど、この安室透哲学は私の専門外なので割愛させていただく。詳しくはこの安室透哲学を主張した友人にまかせることにしよう。
 そんなわけで、私は安室透の女として映画館を後にした。安室透の女としての誇り、日本国民としての誇り、満たされていく自尊心……。
 こころなしか、映画を観る前よりも肌につやがある。心も体もかろやかだ。女性としての尊厳を一気に取り戻した気分であった。私は実に満足な気持ちでTwitterを開き、安室の女としてのツイートを繰り返していた。
 ところがその時である。「奴」が来たのだ。
 そう、奴は私の心に巣くっている。長年私を支配し続けている、化け物と言って差し支えないだろう。奴は一度暴れ始めると、もう誰にも手がつけられなくなるのだ。一人の女性としての私は奴に食い殺され、残ったのは屍のような喪女と、恐ろしいまでの欲望であった。以来、私は欲望のままに這いずり回るリビング・デッドとしての人生を余儀なくされてきた。
 一時的にでも、そんな欲から解放され、一人の女性としての喜びを謳歌したのだ。けれど、奴は私を簡単に解放するようなマネはしない。逃げ切れないところまで泳がせておいて、一気に畳みかけてくる。年相応の女性としての私は、追い詰められていることにさえも、死を迎えるその瞬間まで気がつくことがないのだ。
 回りくどい言い方になってしまったが、要するに、腐女子魂によって風見裕也に落ちた。
 風見裕也は最高の男である。
 風見裕也は三〇歳の公安眼鏡エリート。職務に忠実、日本を抱いた男の右腕、なんとなく不憫、等を始めとしたバクモエ要素の塊である。意味分からん。全くのノーマークだったのに突然出てきて突然フジョシ・ソウルを揺さぶってくるんだからたまったものではない。目つき悪いね! かわいいよ!
 安室透や江戸川コナンなど、人間離れした能力を持った輩の中では、彼はなんだか凡才に見える。事実として、彼は天才というより、秀才なのだと思う。
 そこが最高なんですわ。そこが良いんですわ。
 年下の上司相手にも謙虚だし、人間離れしたやつら相手にも人間らしく必死に食らいついていく。何? 応援したくなっちゃうじゃん……。
 ネタバレになるからあんまり詳しくはいえないんだけど、あの不器用な感じね! 女心分からなさそうなあの感じね! でもどこまでも誠実なんだ……たまらねぇ…………
 そういうわけで、劇場版名探偵コナンゼロの執行人は安室透以外にも魅力的なキャラクターがわんさかいる。おっちゃんもかっこいい。みんなかっこいい。それぞれの正義を見届けてほしい。
 ゼロの執行人、風見裕也をよろしくお願いいたします。