√3は3の倍数である

数弱は焦っていた。テスト終了まで、残り時間はわずか。依然として埋まらない解答欄。何か、何か書かなくては。数弱は、無心でシャープペンシルを走らせた。最後の気力を振り絞る。そこでテスト終了を告げるチャイムが鳴り響いた。——やりきった。白い解答欄の中で、『n=√3α(αは整数)よりnは必ず3の倍数となる』、この文字列が一際輝いていた。

メリメリリ

トカトントン」とはかの有名な太宰治の小説ですが、私の場合は日常を過ごす中で、「メリメリリ」という音が聞こえてきます。
 所謂ニヒルさえも打ち砕き、虚無も虚無、なにもかもまっさらな、いやむしろ透明にしてしまうトカトントンは、私にはどうも、メリメリリと聞こえるのです。
 赤点を回避しようとする時、遅刻寸前で走っている時、そんな切羽詰まった状況でふと、この「メリメリリ」が聞こえてきます。
すると、もう駄目です。
 ひとたびこのメリメリリが聞こえてくると、なんだか、何もかもが馬鹿らしく思えてくるのです。やる気を出したところでメリメリリ、起きがけにメリメリリ、虚無をさえ上回る虚無とでもいうのでしょうか。こういうわけで、私の人生は常に投げやりなものとなっています。

 しかし、唯一この忌々しい「メリメリリ」が聞こえない瞬間というものが私の人生にも存在するのです。
 その唯一というのは、Twitter、それから推しカプ関連の行動です。この二つだけは、全身全霊、全てをかけて取り組むことができます。特に後者ではそれが顕著です。継続というものができない私ですが、推しカプを拝むことは日々欠かさず、時には自身の手で推しカプを生み出すことだってあるのです。それももう何年目になるでしょうか。
 私は常に、推しカプを追求してきました。
 これだけは自信を持って言えます。私は、常に推しカプに本気です。そのためにいくつの黒歴史が生まれたのでしょうか。個人サイト、厨二ポエム、うごくメモ帳、そしてpixiv。
 そしてまた、今回書かせていただく出来事も、いつかは黒歴史の一つとなるのでしょう。私の、最後の高校生活の、一夏の思い出です。

 某日、推しカプ本を頒布することになりました。

 よくわからない、そういった事情に知識がない、そんな方に分かりやすく、噛み砕いて説明させていただくと、受験の天王山とされる夏休み、私はひたすら原稿作業をしておりました。
 いや、腐女子なら夢じゃないですか。自分の信じる推しカプを本という現実の形にするのは。それがちょっと、ねえ。「たまたま」受験期の夏休みに爆発してしまったというだけで、ええ。仕方のないことなのです。
 個人的に楽しむだけの予定だったんですが、ご縁があってイベントで頒布させていただくことになりました。特定が怖いので細かいことは濁しますが、原稿作業してる時とか超幸せでした。印刷所から本が届いた時感動でもう、私の人生にはこれしかない、そう確信しました。
 確か八月中旬から本格的に書き始めて、九月の前半は校正にかかりっきりだった気がします。同人女として人生を歩んでいこうと思います。
 ここでちょっと、己の二次創作関連黒歴史を振り返って、今回の記事は終了とさせていただこうと思います。

 まず、腐女子の大半はROM専から始まるのではないでしょうか。忘れもしません、私も個人サイトを延々と巡っておりました。腐に目覚める前は占いツクールで豪炎寺修也の夢女子をしていました。
 占いツクールをご存知の方なら分かると思うんですけど、あそこってすごく年齢層が低いから、当然文章も可愛らしいというか、まあ包み隠さず言ってしまえばかなり稚拙なんですよね。
 そこで、小学校高学年にして既に深刻な厨二病を患っていた私は、占いツクールで作品を読ませてもらっておきながら(いや〜…この文章力はどうなの……)という謎の上から目線、小説のなんたるかを教えてやるよ、といった感じで話を書いて投稿(豪炎寺修也と学校の屋上から飛び降りて心中する話だった気がします)
したのですが、まったく評価されなかったのでキレて以降投稿するのやめました。ここまで横暴だといっそ清々しいですね。

 そして、腐に目覚めて個人サイトに出会ってからは「これだ」と。
 会話文だけの小説もどきとは違う。地の文もしっかりしたもので、これが私の思う小説、理想ここにあり! 嬉々として個人サイトを巡る。しかし当時は既にイナズマイレブン自体が廃れてきていた時期だったので、サイト更新なんてほぼ無いわけですし、下手すれば閉鎖されてしまうわけです。
 新たな供給はどこから得るか。そこでグーグルくん、迫真の好プレーが光ります。

 私はpixivと出会いました。
 オタク御用達ですよね。pixivはイラスト目当てで使う、って方が多いと思うんですが、小説もすごいんですよ。膨大なユーザーが膨大な数の作品を投稿しているので、中には本当に、プロかと思ってしまうような作品が転がっていたりします。円豪小説は一つのもれなく読み漁りました。本当に幸せでした。
 やがて私もジャンルを広げ、様々なカップリングを嗜むようになりました。
 するとまあ、アレです。
「ぼくのかんがえたさいきょうのおしかぷ」を布教したくなってしまうわけです。とにかく萌えをわかってほしい、肯定してほしい、そういった願望というのは凄まじいもので、拙いながらも自分で継続して文章を書くようになりました。
 鹿野修哉くん、元気ですか。私は貴方のおかげで史上最強の厨二ポエム小説を連投したんですよ。

 そうして今日まで、自分の考える萌えを分かってもらうべく、たまに文章を書き続けています。
 その思いがちょっと暴走した結果と、夏休みという自由時間とが化学反応を起こしたら、本ができました。
 同人活動をしている時だけ、人生が輝いています。

 それ以外ですか? メリメリリの大合唱です。