√3は3の倍数である

数弱は焦っていた。テスト終了まで、残り時間はわずか。依然として埋まらない解答欄。何か、何か書かなくては。数弱は、無心でシャープペンシルを走らせた。最後の気力を振り絞る。そこでテスト終了を告げるチャイムが鳴り響いた。——やりきった。白い解答欄の中で、『n=√3α(αは整数)よりnは必ず3の倍数となる』、この文字列が一際輝いていた。

プロメアは健康に良い

プロメアは健康に良いです。

 

誓ってこれは本当の話なのだが、プロメアは健康に良い。私自身が証人である。プロメアは健康療法。マジでマジ。

 

六月某日、Twitterのオタク達が次々と激アツになってタイムラインに帰ってきた。具体的な激アツポイントを挙げるとするならば、みんながみんな異常なテンションと感嘆符に取り憑かれている。新手の宗教かと思った。

基本的に腰が重いオタクとして定評がある私は、「なんか燃えるらしいけど……家燃えを伝統芸にしてきたけど……」と二の足を踏んでいた。ところがある日、劇場に足を運ばざるを得ない事態が発生する。

 

「滅殺開墾ビーム」

 

それは突如としてトレンドに現れた。

意味がわからなかった。何故滅殺。何故開墾。プロメア内に登場する用語であることは察しがつく。けれども、プロメアは火消しの物語ではなかったのか。何故巨大な山が、何故空を飛ぶ鳥が。そもそも何故ビームなのか。滅殺開墾ビームとは何なのか。

そして数多のオタクを殺しまくった堺雅人。一体何者なのか。

 

真実を確かめるため、私は劇場へと足を運んだ。

結論から言うとプロメアはめちゃくちゃ健康に良い。視聴することで血中のプロメア濃度が上がり、激アツ。ドカーン!!!! ギュイーン!!!! ガキンガキン!!!!!!!!!!! ウォォォォオォォ!!!!!!!

私も鬱病が治りました。もうプロメア無しでは生きていけません。負けました。敗北です。

 

結局滅殺開墾ビームは滅殺開墾ビームでしかなかった。あと度々言及されてるけど、プロメアは健康に良いがクレイ・フォーサイトは健康に悪い。以上です。みんな黙ってプロメアを観てくれ。

永遠探しオタク

君の銀の庭、という歌が好きだ。

なんと言っても歌詞が良い。大変なわかりがある。

 

某サッカーアニメが死んだと評されていた。

確かに、私の知る熱血モノでは無くなってしまったなぁと思う。……というか、既存のキャラを踏み台にしなければ新キャラの魅力が伝えられない、という時点で致命的欠陥な気がする。

まあそれはともかくとして、私の知る大好きだったサッカーアニメは、すっかり変わってしまった。

 

それこそ「死んだ」状態ならまだ良いと思う。辛いけれど、思い出を頼りにできる。情報更新がされない以上、次第に悲しさも薄れてゆくことだろう。

しかし現状として、某アニメは生きている。

だから「ああ、自分達の知っているものとはもう違うんだな」とその都度認識しなければならない。あの頃はもう無いんだ、という傷口がいつまで経っても塞がらない。過去にしがみついている自分が浮き彫りになって、次第に苦しくなっていく。

 

変わらないものなど無い。

理屈としては分かっていても、気持ちがついてくるかは別の問題だと思う。

 

これは別に、アニメとかだけの問題じゃない気がする。

新しい環境や新しい人間関係、そういう変化を楽しめる人は立派だし憧れる。

それはそれとして、私は変化が苦手だし、あまり好きじゃない。

私の知る名前で、私の知らない行動を取られると混乱してしまう。

 

多分これが世間一般で言う解釈違いで、私は現実に対して解釈違いを起こしがちなのだ。なんて哀れなオタク。

 

もう君の銀の庭しか信じられない。

君の銀の庭になりたい。

君の銀の庭に、なりませんか?

 

そんなことを考えていた矢先にKalafinaが解散し、永遠探しオタクは現実の非常さに涙しました。

馬鹿なので締切計算もできない

恐らく「は?」と思う人間が大半だろうが、しばしお付き合い願いたい。なぜなら、私は確信しているからだ。締切守れんヒューマンたちは、きっと私と同じ思考を持っている。

 

30ページの課題が出されたとしよう。1ページにかかる時間は15分。つまり、0.25時間。

これを1ヵ月後に提出してください、と言われる。

まともな人間なら「毎日〇ページずつやろう」と計画を立てる。

誤解しないでいただきたいが、そりゃあ私だって計画を立てる。例えば1日1ページ。自由時間が3時間あるとしたら、そのなかの10分の1にも満たない(すみません、数字に弱いのでわからなくなってきました、10分の1に満たないんですか?満たないことにして進めます)時間を使えば良い。余裕すぎて笑っちゃうね。

 

ところで、「継続は力なり」という言葉をご存知だろうか。

私はこの言葉に、「要するに真の力って、一時的に出したブースト力じゃないんだよ。日々継続できるだけの力のことなんだよ」という意味を見出している。

 

閑話休題

では早速、数学できん代表である私がクソヤバ締切スケジュールを組むに至った経緯、もとい思考回路を表してみよう。

 

1日1ページ=余裕=xと置く。

1日2ページ=1日1ページ+1日1ページ=2x

1日3ページ=1日2ページ+1日1ページ=2x+x=3x

これを繰り返すと最終的に

1日nページ=nx=n余裕

余裕は何度かけても余裕なので

1日nページ=余裕

つまりなんでも余裕だということがわかりますね。こいつ死んでくれねぇかな。

 

この理論に基づきスケジュールを組んだところ、現在

あれ?死ぬのかな?

になっています。さすがに原因を考えました。

そして原因は

余裕は何度かけても余裕なので

にあるのではないかと思う。たぶん3余裕あたりから「ん?」と思うべきだったんだね。

例え話に戻るけど、冷静に考えたらたとえ1日0.25時間のトゥー・イージー課題でも総合すれば

0.25×30=7.5

少なくとも提出に至るまでに7時間以上はかかってるんだね。この世界は悲しみに満ち溢れている。

 

現在の私はn余裕=ヤバを抱えて「あれれ?」と思っています。あれれ?

短編小説『俺とクソ客』

 ヤツと出会ったのは、そうだな。あれは確か、バイト先のコンビニがクジで商品引き換えキャンペーンを行っていた頃だ。丁度、ハリセンボンの「良い部屋チャンス」が店内に流れていた──。

 

 当時業務に慣れていなかった俺は、ただでさえいっぱいいっぱいレジ打ちに加えて、「客の持ってきたクジの引き換え商品を店内から走り回って見つける」という作業に疲れ果てていた。気力も、体力も、限界だった。分かりやすく注意力は散漫になっいた。今思えば、それがいけなかった。

 カゴいっぱいに商品を詰めた男だった。この忙しいときに、なんて厄介なのだろう。俺はちらりと男の顔を観察する。嫌いなタイプだ。丸顔に、キョトンとしたしじみのような黒目。一見して、中国人なのだろうか、と思った。

 俺は笑顔を浮かべ、商品のバーコードを読み取っていく。

すると、何やら財布を弄っていた男が大量の用紙を俺に突きつけた。一体なんだ。一抹の不安を覚えながら、俺は紙の束を受け取った。見覚えのある形状だった。

「こちら全てこの場で引換されますか」

 我ながら、声が震えなかったのはよくやったと思う。案の定、渡された紙の束は全て引換券だった。

 俺は店内を駆け回った。レジ列は伸びていく一方だった。男は悪びれる様子もなく、さも人畜無害です、というような表情で、キョトンとした小さな目を、空に投げていた。

死んで欲しいと思った。今この瞬間ばかりは、それが正義だと思った。俺は男を呪った。心から、呪った。

 必死に引換商品を店舗からかき集めてきた俺は、やっとの思いで会計を終わらせた。レシートにはくじ引き回数の目印である、桜の花びらが5枚表示されていた。俺は男に5回くじを引くように促した。当たるな、と唱え続けた。

「っていうか7回引けますよね」

 結果として男はくじを当てに当てた。

 しかも俺のミスまで指摘しやがった。ちくしょう、くじを引く回数が5回以上になるとレシートには表示されなくなるらしいのだ。気がつかなかった。クソ客にミスまで指摘され、俺はあまりの悔しさに酒瓶を逆手で掴みかけた。殴り倒してやろうか本気で悩んだ。

今回当てた分のくじも引換させて、やっと男は去って行った。

 俺にとって、もっとも思い出したくない客の一人だ。しかし、男は必ず来る。必ずカゴをいっぱいにして、あのキョトンとした顔をしながら、レジ前に居座り行列の起点となる。

 もう顔を見るだけでイライラする。しかしバイトの最中だけ我慢すれば良いのだ。俺は大人になった。クソ客をこうしてネタにすることだって出来る。

 

 ある日、俺は部活に参加していた。バイトを始めて、音楽は心を癒してくれるということを学んだ。だから、部活は好きだった。

「今日から新しい人が来るから」

 先輩に紹介された男を見て、俺は驚愕した。クソ客に瓜二つの顔をした男が、そこには立っていたのだ。

 

 

 

関係ないんですけど、先週の執行されて風見の女になり気が狂った状態で書いたオタク・ブログがありがたいことにはてなブログさんにまとめられたみたいです。今回の更新の為にアプリ立ち上げて気が付きました。

は? あまりの羞恥にのたうち回っている、何? 人生がピエロ芸なんだけど……

ゼロの執行人を観た

 劇場版名探偵コナンゼロの執行人を観てきた。
 本作の評判はTwitterの口コミなどで把握していた。曰く、「日本になって安室透に抱かれる」とのこと。おいおい、何を言っているんだ。オタク特有の語彙力大爆発だろう。そう思っていたものの、Twitterでも評判は右肩上がりだ。驚くべきスピードで、タイムラインには「安室の女」が増えていく。これは私も一度観てみるか、と重い腰を上げ、この度劇場へと足を運んだ。
 月曜の午後七時を過ぎていたにもかかわらず、劇場は案外賑わっていた。大学帰り、一人きりでのこのこ執行されに来てしまったオタクが、周囲に怯えていたことは言うまでも無いだろう。
 とはいえ、近くの席の女性二人組は完全にオタクだった。会話の節々から察するに、どうやら二度目の執行らしい。
「日本になる」
 そんなパワーワードが飛び交っているのだ。十中八九オタクだろう。非常に信頼できる。私は一人ポップコーンを貪りながら上映開始を待った。

 さて、結果としてオタクがどうなったかというと、日本になった。
 ここで読者諸君に謝らなければならないのは、これまで私が喪女詐欺をしてきてしまった、といいうことだ。私は日本として既に安室透に抱かれた身だったのである。恋人がいない、などと長年嘘をついていたことになる。この点については大変申し訳ない。
 ただし、思い出してほしい。読者諸君が日本国民である限り、読者諸君もまた、安室透の恋人なのである。誰しもが安室透の恋人であると主張することが可能なのだ。それは逆説的に見て、安室透は誰のものでもない、ということなのかもしれない。けれど、この安室透哲学は私の専門外なので割愛させていただく。詳しくはこの安室透哲学を主張した友人にまかせることにしよう。
 そんなわけで、私は安室透の女として映画館を後にした。安室透の女としての誇り、日本国民としての誇り、満たされていく自尊心……。
 こころなしか、映画を観る前よりも肌につやがある。心も体もかろやかだ。女性としての尊厳を一気に取り戻した気分であった。私は実に満足な気持ちでTwitterを開き、安室の女としてのツイートを繰り返していた。
 ところがその時である。「奴」が来たのだ。
 そう、奴は私の心に巣くっている。長年私を支配し続けている、化け物と言って差し支えないだろう。奴は一度暴れ始めると、もう誰にも手がつけられなくなるのだ。一人の女性としての私は奴に食い殺され、残ったのは屍のような喪女と、恐ろしいまでの欲望であった。以来、私は欲望のままに這いずり回るリビング・デッドとしての人生を余儀なくされてきた。
 一時的にでも、そんな欲から解放され、一人の女性としての喜びを謳歌したのだ。けれど、奴は私を簡単に解放するようなマネはしない。逃げ切れないところまで泳がせておいて、一気に畳みかけてくる。年相応の女性としての私は、追い詰められていることにさえも、死を迎えるその瞬間まで気がつくことがないのだ。
 回りくどい言い方になってしまったが、要するに、腐女子魂によって風見裕也に落ちた。
 風見裕也は最高の男である。
 風見裕也は三〇歳の公安眼鏡エリート。職務に忠実、日本を抱いた男の右腕、なんとなく不憫、等を始めとしたバクモエ要素の塊である。意味分からん。全くのノーマークだったのに突然出てきて突然フジョシ・ソウルを揺さぶってくるんだからたまったものではない。目つき悪いね! かわいいよ!
 安室透や江戸川コナンなど、人間離れした能力を持った輩の中では、彼はなんだか凡才に見える。事実として、彼は天才というより、秀才なのだと思う。
 そこが最高なんですわ。そこが良いんですわ。
 年下の上司相手にも謙虚だし、人間離れしたやつら相手にも人間らしく必死に食らいついていく。何? 応援したくなっちゃうじゃん……。
 ネタバレになるからあんまり詳しくはいえないんだけど、あの不器用な感じね! 女心分からなさそうなあの感じね! でもどこまでも誠実なんだ……たまらねぇ…………
 そういうわけで、劇場版名探偵コナンゼロの執行人は安室透以外にも魅力的なキャラクターがわんさかいる。おっちゃんもかっこいい。みんなかっこいい。それぞれの正義を見届けてほしい。
 ゼロの執行人、風見裕也をよろしくお願いいたします。

忘備録

さんざんコミュ障だの友達がいないだの言ってきたが、こんな私にも友人は存在する。

小学校時代はクラスが少なかったこともあり、自分がコミュ障だと気づかないくらいだった。

そんな友人との思い出を、春休みでクソ暇なので振り返りたい。

 

さて、小学校では仲の良い男子がいた。今でも夢に出てくるくらいには仲が良かった。

過去形で書いているのはちょっと色々あって疎遠になってしまったからだ。悲しいね。

小学校時代の我々にはお気に入りの遊びがあった。手術ごっこである。

 

当時我々の学級では折り紙遊びがブームだった。

中でも花のようなコマを作ることができる人間は重宝された。花のコマを交換販売している人間もいたことを私は覚えている。

こちらは主に女子の担当だった。いかに美しい配色にするか、どれくらい長く回り続けることができるか、などが評価に繋がる。

 

対して男子に人気だったのはカエルだ。

いかに遠くまで飛ぶことができるか、が主に争点となり、度々カエル飛ばし大会が開催された。

とはいえ人差し指でちょんと押すだけだ。絵としては非常に地味だが、これが大変盛り上がる。

しばらくの間私もカエル飛ばし大会に熱狂した。

カエル制作の時点から戦いが始まっていることは明白だ。

大きさ、素材、折り目の付け方……

このような要素を組み合わせ、自分だけの最強のカエルを作り出す。

ちなみにカエルは消耗品だ。何度も飛ばしていると、飛ばすための「バネ」にあたる部分が弱くなる。

研究の結果、大きくすれば飛距離が伸びる、というわけではないことが判明した。案外小さい方がよく飛ぶのである。

 

こうして一大ブームを巻き起こしたカエルだったが、やはりそこは子供。すぐに飽きてしまう。

私も飽きてしまった一人だ。あんなにも熱中していたのに、一度熱が冷めると「いやカエルが飛ぼうがなんだろうがどうでもええわ」となってしまうのである。

大量に作られたカエルは、お道具箱の奥底に眠っていた。

 

そんな時編み出されたのが手術ごっこである。

これは当時私と仲の良かった男子が生み出した遊びだ。

折り紙で作られた生物をいかにグロテスクに手術して殺すか、というルールである。

設定としてはこうだ。

我々はガースー黒光り記念病院に勤務する医師。この病院には怪我や難病を患った様々な生物が運び込まれてくる。我々はメスを取り、この生物達に満足するまでめちゃくちゃな手術を施し、それから沈痛な面持ちで、

「……心肺停止です。患者は、死亡しました」

と言う。

 

今書き出してみると意味不明な遊びだが、これがまぁめちゃくちゃハマった。休み時間が待ち遠しくてたまらなかった。

そういうわけで、お道具箱の奥底に眠っていたカエル達は患者として手術された後に廃棄された。子供とは残酷な生き物だと思う。

 

しばらくすると手術ごっこにも飽きて刺激のない毎日を送りました。

しかしすぐに、エヴァの惨殺シーン無限再生という遊びを発見し、活気を取り戻します。

卒業

 高校を卒業した。
 信じられないことだが、もう三年間が経ってしまったらしい。

 私の高校生活というのは、それはもう、青春とは程遠い。
 彼氏もいないし、そもそも恋の気配すらない。勉強もできないし、友達もなかなかできない。ないない尽くしである。
 それでも、どうしてなかなか、私はこの三年間でかなり性格が変わったらしい。自分が全てにおいて底辺であることに対し、さほど悲観的ではなくなった。

 大学生になった私、社会人になった私、変わらずメンヘラであると思う。自殺しよ、とかほざいてる暇があったら何もかも投げ出して寝ろ。ホモを読め。

 卒業の話をするはずが己のメンヘラ談義になってしまった。というのも、卒業したという実感がないのである。
 そのうちまた、重い荷物を背負って、「絶起」とツイートをして、始業に間に合うように走っている気がする。授業は寝るか内職をするかで、テスト数日前になってやっと課題をやり始める。
 フードコートで暮らす。部員でもないのに音楽室に入り浸る。夜中まで通話をしながらラーメンを啜る。
 またそんな日々が始まるのではないか、と思っている。きっと大学でも私は底辺である。

 けれども、これからは別々の進路ですね。
 私はなんとか生きていこうと思います。
 時々会うくらいが丁度いいんじゃないかな、と思います。お互い新しい環境で頑張りましょう。
 三年間ありがとうございました。さらばだ底辺共、また会おう!